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ステキな季節の到来 [雑感]

気がつけば、気候もさわやか。
暑~い夏が来る前に、紫外線&日焼けはNGですが、半袖のシャツを着て、外に出て、お日様の光とさわやかな風を感じながら、ステキな季節を存分に楽しみたいですね。

このゴールデンウィーク、悲しい出来事もありました。
役所に出勤しても、もうM野さんはここには帰ってこないんだと思うと、切ない気持ちになりますが、彼女と一緒に過ごした楽しかったときが、少しずつ、やさしい思い出に変わって行ってくれることを願っています。

1.定期健診(4月22日)

ちょっと時間がたってしまいましたが、4月22日、大学病院で3か月に1回の定期健診を受けてきました。前回1月、術後1年目のエコー検査で、健側の右胸(アップルん)に、数ミリの「のう胞」が認められたため、それががんの可能性があるかどうか、判定してもらうため、再度エコー検査を受けました。

エコー検査は痛くもなんともないし、被爆の心配もないので、肉体的には苦痛はない検査ですが、時々、技師さんの手が止まり、その箇所を入念にチェックしたり、記録しているような場合、「もしや、疑わしいものが写っているの?」と、ビクビクしてしまいます。

特にゆこさんの場合、約1年半前、乳がんの告知を受けた乳腺クリニックで、エコーと細胞診の結果、良性の「のう胞」と診断されていたものが、大学病院転院後の術前のMRI検査で、6.9センチに伸展した「非浸潤がん」と診断され、その結果、手術方法も乳房温存から全摘へと変わり、大ショックを受けたという「トラウマ」があります。そのため、同じようなことが、もう一方の胸にも起こるかもしれないという不安から、おそらく一生逃れることができないと思います。

前回の検査以来この3か月の間、もし検査の結果が悪性だったら、たとえそれが早期の小さいものであっても、将来の再発・転移のリスクを考えて、また全摘+再建をお願いするべきだろうか・・・とか、また、前回、手術、入院、自宅療養で、病気休暇をたくさんとって同僚にかなりの負担と迷惑をかけてしまったので、再度ということになれば、仕事を辞めることも考えないといけないかなぁ・・・とか、いろんなことを考えました。

そして、
検査結果は、前回の検査と同じ箇所にのう胞が認められるが、カテゴリー2(「良性」)と判断されるとのことで、とりあえずひと安心です。

でも、やっぱり注射が大っ嫌いな私。今回でお腹に打つリュープリン注射の7回目が終わり、次回7月で8回目。3か月×8回=24か月=2年、てっきりそれで終了だと思い込み、とりあえず確認までに、T教授に、「リュープリン、次回で8回目なので、それで(注射)おしまいですよねー。」と質問をしたところ、リュープリン注射を開始したのが、2011年の11月で、教授の2年間という考え方によると、10月にあと1回やることになりそうです。(えっ)
その答えを聞き、せっかく目の前に見えていたゴールが遠ざかった感じで、ガックリきました。そして、先生の白衣の下に悪魔のしっぽが一瞬見えたような気がしました。 

また、ゆこさんは7月で50歳。なんと半世紀を生きたことになりますが、それと同時にいわゆる閉経期を迎える複雑なお年頃です。今はリュープリンとタモキシフェンで生理が止まっている状態のため、閉経したかのかどうか自分で判断する術がありません。なので、これからも閉経前ということで、タモキシフェンを飲み続けるのか、ホルモン量を検査をする等して、その結果、閉経していたらフェマーラ等のアロマターゼ阻害剤に変えるのかについて関心があったので、教授に質問してみました。
そのお答えは、フェマーラに変更した場合、副作用が激しく出る場合があるらしく(今回、初めて聞きました。)、変更には慎重になる必要があるそうで、私のように年齢的に微妙なケースは、このままタモキシフェンでいくのでいいみたいです。

この1年、タモキシフェンの副作用と思われる、不眠症、うつ、ホットフラッシュ、低体温症をどうにかがんばって克服してきたので、薬を変えて新たな副作用が出現するのはいやなので、このままタモキシフェンでいいと思っています。最近は、朝起きた時の手足のこわばりが半端でなくつらく、関節も筋肉もかっちかっちで、一気に老化が進んでしまったみたいです。当面は、この副作用と戦っていくしかないようなので、血行を良くして、ストレッチに励みます。


2.BCネットワークのタウンホールミーティング@大阪の開催

今月中には、ご案内用のチラシを作成し、来月にはご協力者の皆様のもとに発送するべく、準備を開始したいですが、現実は何も進んでいません。現在公表できる情報は、開催日時、8月3日(土)午後、場所は大阪医療センターのみです。詳細は、追ってお知らせいたしますので、関西方面に在住の皆様、ぜひご予定の確保をお願いします。


★今日のyou tube

笑顔で歩けば、ロマンスの足音!

♪~色 ホワイトブレンド~♪ 竹内まりや
http://www.youtube.com/watch?v=mWlzvqx7F68

White Spring 春の陽ざしに
White Lips 輝き出せば
White Blend 恋が芽ばえそう

リボンが風に踊る 大好きな季節が
涙をはらいのけて 私をきれいにしてくれる
ドライに生きることも 時には必要ね
笑顔で歩けばほら ロマンスの足音 だから


明日から10月ですね。 [雑感]

現在、横浜は、秋の台風の暴風圏に入って、外は大嵐です。

いよいよ明日から10月。そして10月は乳がん月間です。
乳がんの早期発見、早期治療を啓発するために、さまざまな催しが行われます。

明日、東京では、レインボーブリッジ、表参道ヒルズ、東京都庁などがピンク色にライトアップされるようです。仕事帰りに、どこかに寄ってみようかな~。

☆ご参考
ライトアップの場所の紹介(ピンクリボンフェスティバルのHPへのリンク)
http://www.pinkribbonfestival.jp/event/other/light.html

ゆこさんは、昨年10月20日に乳がんの摘出手術を受けたので、去年の10月はまさに乳がん一色の一カ月でした。あれから一年、こうして心穏やかに、また10月を迎えられたこと、命を救ってくれた主治医の先生や、不安で辛かった時に、私を支えてくれた家族や友人に改めて感謝です。

今月は、乳がん月間ということもあり、乳がん関係のイベントが全国各地で開催されています。ゆこさんも、来年のBCネットワークのイベント開催の参考にするため&自分の勉強のため、いくつかセミナーや講習会に参加申し込みをしてみました。ミーハー(という言葉は死語らしいですが・・・)なゆこさんは、せっかくなので、女優さんやタレントさんが参加するイベントものぞいてみたいです。

☆ご参考
直近のがん関連の各地のイベント(がんナビへのリンク)
http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cancernavi/info/

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私を助けてくれるありがたいヒト [雑感]

月曜の午後、私の職場のPHSが鳴りました。
電話の向こうは大手町にある某新聞社の編集局で次長をされている女性記者のNさんでした。

Nさんは、ものすごく怒っていました。私は、初めはなぜ、このヒトはこんなに私のことを怒っているのか理解できず、でもなにせ、相手が新聞記者なので、いつもの(職業柄の)自己防衛本能で、役人答弁(相手のいうことをすぐに認めてはいけない。決して謝ってはいけない。やりますとコミットしてはいけない。)を繰り返していました。
そのうちNさんは、「私は、ゆこさんのことが心配でしょうがないから、仕事中だけど、今、電話してるのよ。あなたはともかく夜、ちゃんと寝なさい!」と、私が「わかりました」というまで、何回も繰り返していました。

Nさんと知り合ったのは、あるセミナーがきっかけです。司会をしていて超カッコ良かった女性記者のNさんとお知り合いになりたくて、フリータイムの時に、名刺交換させていただき、私の方からメールを送りました。
実は、Nさんは、今年10月に東京で開催された“更年期と加齢のヘルスケア学会” 学術集会という医療関係者向けのお固い集まりで、「マスメディアからみたホルモン補充療法(HRT)について」のテーブル・ディスカッションの座長を努めていたのです。

私は、以前自分のブログで書いたとおり、自分が乳がんになったのは、数年前に受けたホルモン補充療法が原因であると強く疑っていて、ホルモン補充療法と乳がんとの関係について関心をもっていました。そのため、Nさんに、そのテーブルでの議論について、教えていただけないかと思いメールしたのですが、返事がなかったので、残念ですが、私のことに関心持ってもらえなかったのかなぁ・・・と思いつつ、自分もすっかり忘れていました。

もとい、Nさんは、私のメールを読んで、私の名刺にあった職場のPHSあてに、わざわざ電話を下さったのでした。彼女がまず私に言ったのは、「夜中に、あんな内容のメールを送られて迷惑だった。」「こんなメールに対して返事はしたくないが、ゆこさんのことが心配だから、いま職場あてに電話しているのだ。」とのこと。

さらに、彼女は、「ゆこさん、あんな時間(夜中)にメールなんて書くんじゃないわよ。心配するじゃないの。」と言うのです。確かに私はそのメールを、平日の1時半頃に書いていました。
私は、ここ数年、睡眠障害で、11時に布団に入るようにしているのですが、いつも1時半ころに目を覚ましてしまい、その後眠れなくなってしまうのです。睡眠導入剤にもお世話になっていますが、だんだん効かなくなってしまいました。さらに、再建手術をしてからは、ピーチ(再建中の左胸)が重たくて、寝返りを打てなくなったので、さらに熟睡するのが困難になっています。

私はメールについては、送った相手が自分の都合がいい時間に読んでもらえばいいし、特にお忙しい方のような場合は、もし読んでもらえたらラッキー!返事はもらえなくて当たり前という認識でいます。仕事をしていたらそんなもんです。(本当に返事が必要な場合は、嫌われようが、しつこく催促します・・。)

更に、彼女の言うことには、「人間は夜に文章を書いてはいけない。」のだそうです。 「なぜなら、夜に書く文章は、どんどん自分の世界に入ってしまい、そして、考え込みすぎてしまうから。」確かに私も自分のブログの記事を夜11時から1時位の間に書くことが多かったです。仕事から帰って、夕食を食べて、入浴して、犬たちのお世話をすると、ようやくその頃、やっと落ち着いて、自分のPCの前に座ることができるんです。

私のこのブログに書いている文章も彼女の言う「夜に書いた、暗い文章の典型」だそうで、「あなたのブログは、不幸を発信している。読んだ人の具合まで悪くなる!。そんな文章は発信すべきではない。」とまで、批判されてしまいました。そして、「がんになった原因は、現代医学をもってしてもわからないのに、ゆこさんが自分の乳がんの原因がHRTと疑ってみたところで、真相はきっとわからない。そんなことで悩むのは時間の無駄。」 

内心は、何もそこまで言わなくてもと思いました。必ずしも、全ての記事が暗いわけではなく、前向きに乳がんと再建治療に取り組んで行こうというメッセージも、書いてきたつもりです。ホルモン補充療法(HRT)についても、私のように早期更年期障害に悩んで、HRT治療を受けようと考えている女性に対し、乳がんにかかるリスクが増加することを認識してもらえればと思って書きました。
残念ながら、Nさんには、私の思いがうまく伝わっていないところが、あります。(私の言い訳・・・)

Nさんは、記者歴30年のベテランの社会問題の記事を書く立派な記者さんです。彼女のモットーは、「情報発信する記事は明るくなくてはならない!」。
そして「明るい文章を書くには、夜中に書いてはいけない」という、無理難題を私に要求するのです。

「私は、日中働いているんだから、夜しかPC使えないんですケド。」と言うと、「それなら朝、早く起きて時間を作りなさい。私はずっとそうしている」と言うのです。
でも、私は睡眠障害もあるので、正直、早起きは苦手です。それでも、出勤の準備のため、朝6時半に起きていますが、さらにこれより早く5時に起きろというのでしょうか。一日24時間しかないし、仕事と食事と生活に必要な時間でいっぱいいっぱいで、自由にできる時間の捻出が難しいのが多くの現代人の悩みだと思います。

Nさんは、「そんなのできない」と「でも・・」と繰り返す、かわいくない私を、辛抱強く説得し続け、最後には、私の方が根負けして、「わかりました。ごめんなさい。私、早起きしてみます。」と答えて(しまい)ました。

彼女と約束したこと。
「夜は、寝れなくても必ず寝る。ともかく寝る。」
「夜中にメールを書かない。送らない」
「早く寝て、早く起きて、平日ブログを書きたいなら、朝に書く」
「情報発信する内容は、読者が明るくなるような、前向きな内容にする。」
「自分ががんになった原因については、もう振り返らない。」
「がんについて、勉強したいなら、パソコンで情報収集などしていないで、大学や医療系の学校に入って、きちんとした先生について勉強する」
「年明け、Nさんにお目にかかって、直接、気合を注入してもらう」

Nさんは、新聞記者という社会的地位も確立されている、いうなれば情報発信の大家でいらっしゃいます。
そんな方に、こんなに面倒をかけて、申し訳なく思います。でも、こんないい年の私を、心配してくれて、そして、叱ってくれる人がいることを、とてもありがたいことだと思いました。
そして最後に「結局、がんと闘うのはあなた(ひとり)。弱くなってどうする!でも、ゆこさんががんばるなら、私は応援する」っと。世の中には、神様みたいな人っているんですね。[ぴかぴか(新しい)]

思えば、私は、病気になってから、大家というか名人というか、いや、プロフェッショナルというのがいいですね、その道の最前線を歩まれている方々に、数多くめぐり合っています。
例えば、私の主治医である乳がん治療と乳房再建の名医、がん患者のメンタルケアの名医、お薬の名医、乳がん情報発信NPOの代表、そして、病気関係以外では、まち塾という元役所OBのワセダの教授の呼びかけで始まった集まりを通じ、広報&イベント開催の大家、夢あるまちづくりの大家、人生を楽しく生きる大家?そして、今回のNさん等々、たくさんの尊敬できる方々に出会うことができました。

そして、これらの人たちに共通しているのは、私より年上であるということです。
最近活躍している人たちをみると、だいたい自分より年下で、なかには一回りも若かったりして、世代交代というか、もう自分が活躍できる時代は終わったんだと、諦めの気持ちになっていました。
でも、このように、自分よりも年上の方々が、プロフェッショナルとして、現在も各分野の最前線でご活躍され、いまの日本を支えているということがわかり、もしかしてこの私も、まだまだ捨てたものではない、いやこれからでも十分がんばれるんだと、勇気をもらうことができました。

2011年うさぎ年。私、年女でした。
3.11の東日本大震災と福島原発事故後の役所での激務の日々、そして、やっと落ち着いたと思ったら、今度は8月に乳がん発見と、私のこれまでの人生の中で、最も過酷な一年でしたが、振り返ってみれば、得たものも多く、結果としては、そんなに悪い年ではなかったのかもしれません。

さて、このブログの更新は、今年はこれでおしまいです。
来年からは、Nさんからの教えをいかし、みなさんが元気になるような明るい情報発信を心がけます。
そして、いよいよ、私の乳がん情報発信のNPOでの活動も本活的に始ります。
健康第一。無理しないでがんばります。


◯最近読んだ本(おすすめ度 今回も3冊とも★★★)

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乳がんを抱きしめて ~39歳で乳がん患者だった私の治療記~
小堀 昌子 (著), 中村 清吾 (監修)

聖路加病院の人気の名医、中村清吾先生(現在は昭和大学病院ブレストセンター長)の患者さんの治療の記録です。彼女はまだ若いのに、乳がんという厳しい事実を冷静に受け入れ、前向きに治療に取り組み、そのことについて、しっかりとした文書で書き綴っています。
彼女のいわゆる名医と呼ばれる超多忙な主治医との上手なつきあいかた、コミュニケーションのとり方についての独特の考え方がおもしろくて、参考になりました。人間同士なので患者と医師との間にも相性はある思うし、特に乳がんの場合、医師との付き合いが長くなるので、自分に合う主治医と巡り会えた小堀さんは、ラッキーだと思います。
彼女は、故郷を離れ都会で一人暮らしで、自分の両親にさえ乳がんであることを告げずに、がんと闘いました。もちろん頼もしい社長さんやお友達の存在があったから、がんばれたのだと思いますが、もう少し、誰かに甘えても、そして、たまには泣いてもいいんじゃないかな。と思いました。小堀さん、あなた強すぎます。



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がん常識の嘘
渡辺 亨 浜松オンコロジーセンター長


私が、「微小転移」のことを知り、その後、再発と転移の恐怖に怯えることになった原因が、実はこの渡辺先生のイカロス・ムック「乳がん最新治療と乳房再建」という雑誌に掲載された、特集記事を読んだのがきっかけです。
それは、乳がんの摘出手術が無事に終わり、これでがんとはおさらばだしたわ、と平和&幸せな気分に浸っていた矢先でした。早期発見・早期治療したから、私のがんはきれい、さっぱり治って、私の命は助かったんだと思っていたのに、実はそれは、違うという厳しい現実に気づかされました。
しかし、この本と、前回紹介した慶應病院の近藤誠先生の本を読んだおかげで、私はかなり冷静に再発と転移についての現実を受け入れることができました。そして再発と転移の恐怖と闘う覚悟(のようなもの)もできました。 


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テルマエ・ロマエ (BEAM COMIX)< 最新は第IV巻です。>
ヤマザキマリ


10月に入院した時、役所の同期のM子ちゃんが、お見舞いに差し入れしてくれたコミックです。表紙が、裸の古代ローマ人のかなり恥ずかしい絵だったので、なんでツライ病気で入院している私に、こんな本を選ぶのかとM子ちゃんのセンスをちょいと疑いました。しかし、読み始めると、ものすごく面白くて、消灯時間が過ぎても、ついつい遅くまで、読みふけってしまい、おかげで入院生活の後半、退屈しないで済みました。M子ちゃん、改めてありがとう!
内容は、ズバリ「お風呂」です。説明するよりも、おもしろいので読んでみてください。かなり笑えます。電車の中では要注意です。来年1月からはアニメ化、そしてGWには阿部寛主演でロードショーです。

<以下12/31追加しました。今度こそ、See you next year !>

◯再建中のゆこさんが、年末に心配になったニュース(ロイター電)[がく~(落胆した顔)]

テレビのニュースでちらっとみたタイトルが「仏製の豊胸用シリコンが爆発!」だったので、驚きました。ソースとなっているロイターの記事を読んでみたら、シリコン自ら爆発したのではないし、(原文に使われている単語:deflation収縮、rupture 破裂)、問題が起こったのは、10年以上も前に製造されたPIP社の生理食塩水のバック(工業用ジェルの混入が原因)だったようです。私が再建を受けるBSクリニックで使用するシリコンバッグとは違うので安心しました。

日本の報道は、ニュースとして発信する前にもっと事実確認してほしいし、このニュースで困惑することになる乳がん患者を含む、世界中の多くの女性のためにも、このようなセンセーショナルな取り上げ方をしないでほしいと思いました。[ちっ(怒った顔)]

ロイターの記事
・FDA warned PIP on breast implant safety in 2000 (Washington, Dec 28, 2011)
http://www.reuters.com/article/2011/12/28/us-breastimplants-fda-idUSTRE7BQ03M20111228

・豊胸材の安全性、専門家は長期に渡るケアが必要と警告 (2011,12,28 ロンドン)
http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201112280012.html

◯You tube へのリンク
Stand Alone Sarah Brightman
http://www.youtube.com/watch?v=GZ6lz6Q0jpI&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=4jSbLq56a5s&feature=related

はてなき想いを 明日の風に乗せて。

(Sarahのおまけ)
オトナのお別れの曲です。2011年のいやだったことにsay good- bye!
Time to say goodbye
http://www.youtube.com/watch?v=vl6h7UWo1_Q&feature=related

患者会に参加してみました。 [雑感]

手術後、8週間、約2ヶ月がたちました。
仕事にも復帰して、1ヶ月です。産業医の指導で、次の1月の面談日まで、1日6時間勤務のため、毎日5時前には失礼させてもらっています。まだ明るいうちに帰るのは、申し訳ないですが、夕方のラッシュ前の電車に乗って帰れるので、助かっています。

先日、用事があったので、いつもなら地下鉄の駅に直行してしまうところ、新橋側の地上を愛宕山の方向に歩いてみました。いつもその時間帯は働いているので、夕暮れ時のまちの風景が新鮮に思えました。そして、目の前にライトアップされた、赤と白の大きな東京タワーが見えてきました。
「あれっ。東京タワーって、こんなに近くにあったんだ・・・。」25年もこのまちで働いてきたのに、当たり前すぎて、存在に気がつかないものってあるものだと思いました。

前のブログにも書きましたが、私は、つい最近、再発・転移の恐怖の取りつかれてしまいました。
乳がんとは何か、とか検診・検査方法、初発の治療法についての情報を提供しているサイトはたくさんありますが、再発・転移の発症の状況や治療法、あるいは、再発予防治療中の患者の心のケア等については、情報を提供しているサイトはそんなにありません。

そんな中、私が、「信頼できる情報サイト」の記事中でおすすめしている日経BP社「がんナビ」で、乳がん患者のQOLの向上を目指すサポートグループを運営している元乳がん患者女性のインタビュー記事を見つけました。共感できる点が多かったので、そのグループが開催するサロン、いわゆる「患者会」というものに参加してみました。

実はゆこさんは、「患者会」という言葉の響きが好きではありません。私はもうがんを取り去ってもらったので、「患者」と呼ばれるのには抵抗があるし、「患者」というと、病気になってしまったカワイソウな人、つまり、世間から同情されているようなイメージがあって、受け入れがたいためです。

Anyway, その患者会は、夕方6時から都内の区役所の会議室を使って開催されていました。6時開始でしたが、遅れて参加する人が多く、最終的には12人位の参加者が集まり、半分は今回が私のように初めての参加でした。既に術後、数年経っている人、最近手術が終わったばかりの人、術後、ホルモン治療や抗がん剤治療受けている人、同時再建中の人の他、最近、がんと診断され、これから病院や医師を選ぶ人など、実に様々な段階の人たちが集まりました。

とりあえず、到着順に自己紹介と自分の乳がんの状況等について、リレートーク形式で数分ずつ、話しをていきます。遅れてくる人が多いので、結果何周も回ることになります。全員が発言するという点はいい方法ですが、一言で終わってしまう人、たくさん話す人と、様々でした、

主催者であるサポートグループから3名の元乳がん患者が世話役として同席し、参加者からの質問に対し、その都度、答えてもらうしくみとなっています。その中で、会の中心となり、私たちの質問に手際よく答えてくれた女性のニックネームに聞き覚えがあったので、尋ねてみたら、以前、私がよく閲覧していた乳房同時再建患者サイトを運営している方でした。この方は1999年発症なので、乳がん歴が12年以上になるのですが、最近肺への転移が発見されたそうで、現在ホルモン治療中です。見た目はとても元気そうです。

もう1人の世話役の方は、十数年前、若干27歳で発症し、絶対的な存在の父親の知り合いという理由で呼吸器外科医が乳がんの摘出手術を行ったそうです(驚き!)。この方は発症後10年以上がたっていますが、発症が若かったこともあり、今も再発・転移を心配しているそうです。そして、その状況には、もう慣れたといっていました。

このお二人の方が、実によく勉強されていて、自分たちの経験談を交えながら、参加者からの質問に、要領よく的確に答えて下さっているのが印象的でした、また、参加者側も礼儀正しく、おだやかな雰囲気で、(何も知らなければ、誰も乳がん患者の集まりとは思いません。)会は進んで行きました。私にとって、ショックだったのは、明らかに自分より若いと思われる人、どうみても30代の人がたくさんいたということ、もしかして乳がんは、都会の「社会病」なのでは。

そして、今回、わかったこととしては、乳がん治療後も、多くの人が、再発・転移の不安を抱え、一人病んでいるということ、また自分で不安になって乳がんの情報を調べ始めると、私の場合のように負のスパイラルに陥ってしまい、そのような相談にのってもらえる外部のサポートを必要としていることでした。

自己紹介3周目に入ったあたりから、申し訳ないですが、もうこれ以上人の話を聞くのは十分という気持ちになってしまったため、途中退席しました。あの調子でいけば、金曜の夜だし、際限なく、このお話会は続いていくと思われました。
それだけ、自分の乳がんについて不安を抱え、誰かの話を聞きたい、自分の話を聞いてもらいたいという患者が、世の中に多いということなのでしょう。

しかし、他人の話を聞くのもエネルギーが必要です。今回の患者会は、せっかくグループから世話役が3人出席していたので、参加者の状況や興味によって、グループ分けをすればもっと効率的に、話を聞けたのではないかと思いました。
そして、私はやはり、患者側の席に「患者」として座ることにしっくりできませんでした。参加して良かったとは思いますが、これから、もう、この種の集まりに出ることはないだろうと思いました。

ただ、今回は、乳房を再建中の人、再建を終了した人、これから再建を検討している人と、話しができたところが収穫ありでした。偶然、私と同じ病院で、意外な?医師から、同時再建手術を受けた人にも会いました。

私の結論として、「患者会」については、患者同士が、経験や知識を共有し、助言しあい、互いに学び合って向上していく場となれれば、非常に有効な患者のQOL向上のための活動の場だと思います。
しかし、実際の患者会は、異なる世代、性格、職歴、がんの治療段段階、等にある女性の偶然の?集まりであるため、自由に話させていたら、議論が収束せず、町内会のごみ置き場前の井戸端会議?状態になってしまう可能性があります。(事実、ここには書けないよう内容の都市伝説みたいな話もでました。)

世話役やボランティアの方が、同席してくれるとはいえ、知識や経験は豊富だとしても、所詮は素人なので、話が間違った方向に向かってしまう可能性もないとはいえません。(今回お話下さったお二人も、発症後10年以上経過されていますので、当時と現在では、検査・治療方法がかなり変わっていると思います。)

そうした可能性に対処するため、科学的な根拠や専門的知識に基づいて、話し合いを軌道修正することができる専門的な資格(医療従事者、心理カウンセラー、乳がん体験アドバイザー等)を有する方のサポートが、患者会の運営には必要ではないかと感じました。

今回、たくさんの元・現役の乳がん患者からお話を聞いて、乳がんという病気は、本当にたちが悪く、残酷な病気だと、つくづく思いました。しばらく隠れていたくせに、こっそり、突然現れるとか、そのくせ、進行が遅く、のろのろと進むというのは、勇義悪いというか、もしそんな人間がまわりにいたら、絶対、許せないです。関係者の皆様には、早くこの憎たらしい乳がんの正体を突き止めていただき、一刻も早くこの病気を完全撲滅してほしいものです。


◯「がんナビ」(日経BP社)のページへのリンク
1.再発を早く見つけても予後は変わらない」は本当か
小山千穂=チャンゴ・ジャパン
乳がんの再発は、早期に発見しても予後は変わらないとうエビデンスがある。しかし治療の現場では、再発の発見を目的に、骨シンチグラフィやCTなどを用いた検査が定期的に行われているのも事実。これらの検査は本当に必要なのだろうか。今、その有用性を確かめるための臨床試験も走り出そうとしている。
<記事を読む>
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/201112/522661.html

2.先輩患者からのアドバイス 闘病生活をうまく乗り越えるためにお互いの声を聴き合いましょう (2008.7.29) VOL-Net 伊藤朋子
2000年、乳がんの手術を受ける。2002年、勤めていた会社を退職し、心理学を学ぶために大学に進学。同時に乳がん患者の仲間たちと「声を聴き合う患者たち&ネットワーク「VOL-Net」を立ち上げ、患者会活動も開始。現在、乳がん専門クリニックでも患者サポートを行っている
<記事を読む>
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/series/study/200807/100191.html

◯リスミンの乳がん日誌
ゆこさんがお勧めする乳がん患者さんのサイトです。(上記記事中の世話役をして下さった方のひとり)
http://homepage3.nifty.com/by/
*文章の感じから、頭がよく、自分の考え方を持った女性という印象です。

サイト中の以下の記事は、特におススメです!((サイトより抜粋)
・主治医選び・病院選びについて
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0028.html
・良い病院とは?
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0046.html
・医療への幻想
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0040.html
・医療制度の危機
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0038.html
・乳がんの早期発見のチャンス(リスミンのひとりごとより)
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0000.html
・がん細胞の増殖速度
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0035.html
・手術後にすべきこと
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0020.html
・万が一、再発してしまったら・・・
http://homepage3.nifty.com/by/nikki0021.html

切なさの海に水没しました [雑感]

「知は力なり」という格言を、はるか昔、高校の倫理社会の時間に習いました。(確かフランシスコ・ベーコン)

本来の意味ではないかもしれないけれど、私は、知識を身につければ、それが自信となって、自分が強くなれるんだと、これまで思って生きてきました。

でも、いま、それが、実はそうではないかもしれない、というつらい事態に遭遇しています。

私は、乳がんになってしまったけど、いい病院や先生にめぐりあい、手術を受け、とりあえず、いまは、がんはさよならできました。でも、将来いつやってくるのかわからない「再発」と「転移」の恐怖に怯え、それからどうにかして逃れたいがために、最新の乳がんの治療や検査に関する情報に追いつこうと、このブログを立ち上げ、情報収集や発信を始めました。

記事が増え、読者の数が増えることが励みになり、自分の知識や情報量が増えることが、いつかは自分に自信を与えてくれ、自分は強くなれるのだと信じて、というか、願っていました。

でも、今の私は、おばけ退治に出たのはいいけれど、おばけの正体が分かる前に、恐怖におじけづいてしまい、そこから逃げようとしています。

そうです、私は、「再発」と「転移」の恐怖に取りつかれてしまったんです。また、今まで考えたことがなかった、非浸潤がんのもう一方の胸への発症の恐怖までも抱くようになってしまいました。
しこりも痛みもないのに、知らぬ間に、病巣が広がって、また全摘しか選択がない・・・。そう考え始めると、本当に、手術をしていない右側の胸が痛くなってきます。

乳がんについて、ネットで情報収集して、乳がん患者に話を聞いて、関連書籍も読んで・・・
そのようにして、知れば知るほど、私は強くなるどころか、弱くなっていっているような。。。自信がつくどころか、どんどんを失っていっている気までします。

わかっているんです。
「たしかに、(再発や転移は)可能性があるのかもしれないけれど、それが私に起こるとは誰にも(医師にでさえ)わからない。」ということは・・・。

私は、強い人間ではありません。見かけによらず、大胆で行動的な反面、実は怖がりで臆病モノです。でも、48歳で大人だし、社会人。がんにも再建にも前向きに取り組む「ゆこさん」という女性として、いまをがんばって生きています。

当初は、産業医の言うように、がんという生命を脅かす危機に遭い、脳内のアドレナリンの分泌が過剰気味で、テンションが高くなったので、自分の能力以上の力が出せ、このようなブログを立ち上げ、更新を続けてこれたのだと思います。

先日、ブログのアクセス解析をしたところ、このブログをブックマークをしてくださっている方が100名以上もいることがわかり、私の情報発信という試みも、誰かのためになっているのかなぁ・・・と喜んでいた矢先。

本当に、どうしちゃったんでしょう。私。
帰りの電車の中でも、突然シクシクしてまい、参りました。
もしかして、いよいよ、タモキシフェンの副作用がやって来たのかもしれません。
「うつ」になることも、あるらしいです。。。。

とりあえず、今日は寝ます。
がんばれ!明日の私。
でも誰かに、助けてほしい。Let me know the way !

◯You tube へのリンク
元気をだして 竹内まりや
http://www.youtube.com/watch?v=Uf14avpXefs

「人生は、あなたが思うほど悪くない」って。

私の運命の絵 [雑感]

30代前半、イギリスに留学した時、旅先のボーンマスにある美術館で偶然出会い、心を奪われてしまったロセッティ作の「心変わりを誘うヴィーナス」という絵です。滞在中は、取り憑かれたように、毎日、この絵を見るために美術館に通っていました。ロンドンのテート美術館に、「プロセルピナ」という、ロセッティの代表作がありますが、私はこちらのヴィーナスの絵の方に惹かれます。

10年ほど前、上野の東京芸術大学で「ヴィクトリアン・ヌード」という展示があり、なんと、この絵が来日し、東京で再会を果たすことができました。私に会いにきてくれたんだと思いました。

この絵を見ると、ヴィーナスの挑発的なぼってり唇の顔よりも、向かって右の「左の胸」の方に、ついつい目がいってしまうのは、私だけですか? 片方しか出ていないので、かえって印象的なのかもしれません。

Venus.jpg
心変わりを誘うヴィーナス
Dante Gabriel Rossetti
Russell-Cotes Art Gallery and Museum
*画像をクリックすると絵が拡大し、この絵の美しさが更にわかります。
そしてよく見ると、実はこの絵の右上には青い鳥が描かれています。


◯You tube へのリンク
Sarah Brightman 'Song for Japan' - ATTESA
http://www.youtube.com/watch?v=7bLIMClB6Bo

1960年生まれだなんて信じられないくらいチャーミングなサラ。オペラ座の怪人のクリステーヌの頃から崇拝しています。

私が乳がんになった原因考 [雑感]

乳がんの原因は今の医学ではわからないということになっています。
でも、私は、自分が乳がんにかかった原因が知りたいです。

がん細胞が摘出されてしまった今となっては、私の体の中には、その痕跡は残っていませんが、自分の体に起こったこと、自分の細胞がある日がん細胞に変化した原因を知りたいと思うのは、おかしなことでしょうか?

乳がんのリスクファクターについては、既に様々なところで示されていて、今更、聞くのもうんざりします。私は初潮が早かったし、出産も授乳もしていない。ピルも飲んだことがあるし、数年前にホルモン補充療法も受けました。職場でも家庭でもストレスがいっぱいで、仕事ではパソコンの前に一日座っています。乳製品やお肉、甘いものが好きで、最近、太り気味です。イソフラボンが女性ホルモンに似た働きをすると聞いて、豆乳飲んでいました。等々。まさにリスクファクターのてんこ盛り状態です。
結局のところ、女性ホルモンであるエストロゲン優位の状態が、長く続くことが、問題であるとされているようです。

実は、私自身は、自分が乳がんになった原因は、数年前に受けたホルモン補充療法だったのではと強く疑っています。当時私は、慢性疲労感や、めまい、頭痛、肩こり、不眠といった症状に悩まされており、仕事上の悩みも重なったために、産業医の勧めで心療内科を受診してみましたが、いわゆる「うつ病」にみられる気分の落ちこみや、死にたくなるといった症状は一切なかったので、自分はメンタルの病気でははないと確信していました。ただ、心療内科で処方される、入眠剤と精神安定剤は、不眠や肩こり、頭痛の対症療法としては、有効だったので、これらの薬欲しさに通院していました。

その後、新たにホットフラッシュの症状が出るようになり、場所と時間を構わず、突然大量の汗が吹き出し、さすがに仕事にも支障が出てきたため、当時43歳位でしたが、早期の更年期障害を疑って、婦人科医を訪ね、相談の上、ホルモン補充療法(以下HRT)を受けることにしました。

折しも当時は、更年期障害のツライ症状は我慢しないで、婦人科医に相談して、HRTを受けてみましょうというブームの真っ最中でした。働く女性を対象としたファッション誌や週刊誌にも、おしゃれなウィメンズ・クリニックの先生が写真入りで登場し、盛んにHRTの有効性が紹介され、それはあたかも、これからの人生や仕事もイキイキと楽しみたい40代女性(私も含むバブルを経験した世代)の救世主のようでした。

私が、悔やまれるのは、そういう流行にあっさり、乗っかってしまったこと、そして何よりも、当時の自分の女性ホルモン量をきちんと把握した上で、HRTに臨まなかったことです。婦人科の医師は私がHRTに関心あると話したら、問診だけで、簡単にエストロゲン(プレマリン)とプロゲステロン(プロベラ)を処方してくれました。保険も効き、薬価も安かったので、継続して服用することには障害も感じませんでした。おぼろげな記憶ですが、確か、自分が今更年期障害の状態なのかを知るために、女性ホルモンの量を測る検査を医師にお願いしましたが、当時の血液検査では正確な数字は出ないというような説明を受け、そこで納得してしまい、その後は強く検査をお願いしませんでした。

またHRTの治療を始めるにあたって、その婦人科医からは、エストロゲンだけの服用だと、子宮出血や子宮体がんの発生が増加しますが、プロゲステロンと一緒に服用することで、リスクが抑えられること。そして、その時、確かに、乳癌の発生リスクが増加する可能性があるので、自己検診をするようにしましょうという説明も受けていました。

当時の私は、目の前のホットフラッシュのつらさをどうにかしたいということが最優先で、それに伴う副作用は、確率的に相当低いものだろうと考え、即時HRTを選択してしまいました。

その選択が、今回の自分の乳がんの発症につながっているのかはわかりませんが、もし私と同時期にHRTを受けた女性たちが、同じ時期に乳がんを多く発症しているのなら、因果関係は証明されるのではないでしょうか。ただし、そのような統計データが世の中に出てくるのかどうかは、疑問ですし、もしそのようなデータが存在したとしても、統計として数字が出てくるにはあと数年の時間を要するでしょう。

がんにかかる危険は,誰にでも、そしてすぐそこにあるというのに、日本の女性は、女性ホルモンが、乳がんや子宮がん等の発生にどれほど影響があるのか知らなすぎると思います。

結局、女性である限り、自分は一生女性ホルモンによる影響を受け、がんの発生リスクから、逃れられないということになりますが、女性ホルモンは、女性を女性らしく、そしてイキイキさせるためのものだと思っていたのに、今の自分にとっては、そうではないと思うと切なくなります。


◯再発予防に関して、最近読んだ本

cover2.jpgBreast Cancer: How Hormone Balance Can Help Save Your Life (What Your Doctor May Not Tell You About...) by Jone R. Lee, M.D.

著者リー博士(2003年没)は、天然プロゲステロンの研究と使用、ホルモン補充療法の米国での草分け的存在で、世界的権威と紹介されています。なぜ、通常の医療(手術、放射線、抗がん剤、ホルモン療法)を施しても乳がんから、女性の命が救えないのかについて解説しています。正直のところ内容の信憑性について、私が十分な知識を持ち合わせていないため、判断できません。この本の最終目的はプロゲステロン・クリームの販売促進のようです。日本語訳版(タイトル「医者も知らない乳がんとホルモン療法」:教えないかもしれない(原タイトル)のと、知らないとではかなり違ってると思いますが・・・。)も出ていますが、訳がスムーズでないので、原文の方が良いです。


cover3.jpgYour Life in Your Hands: Understand, Prevent and Overcome Breast Cancer and Ovarian Cancer by Prof.Jane Plant

世界で400万部の大ベストセラー。進行がんに侵されながら、自分を実験台に命がけで自分の乳がんの原因を探し当てたプラント教授の科学者魂には脱帽です。日本語訳版のタイトルがなぜか「乳がんと牛乳 がん細胞はなぜ消えたのか」とあたかも、牛乳が乳がんの主原因であるかのようなセンセーショナルなものになっていますが、実際には、がん克服・予防のための生活や食生活への教授の提案”The Plant Programme”の紹介が中心です。(ストイック過ぎて、私にはとても実践は無理です。)訳者(山梨医科大学名誉教授の方)が、なぜ本のタイトルをこのように訳したのか聞きたいです。


◯国立がん研究センターへのリンク
乳癌のリスクファクター
埼玉県立がんセンター研究所がん発生・予防研究担当主任 三宅 智他
http://epi.ncc.go.jp/images/uploads/miyake.pdf

◯You tube へのリンク
竹内まりや 恋の終わりに
http://www.youtube.com/watch?v=yLL7qRI9lLE&feature=related

手術後、1ヶ月がたちました。 [雑感]

明日で、乳がんの手術を受けて1ヶ月になります。
1ヶ月前の私は、がんの摘出手術を控えて、かなりの緊張状態にあったと思います。産業医からも、入院前の面談で、私の話しぶりや表情から、アドレナリンが出まくりの状態と診断されていました。手術が無事に済み、とりあえず、生命の危機からは脱したので、これから徐々に、リラックスできるようになるのでしょうか。
私の職場の場合、産業医が、メンタル面も考慮して、中期的(3ヶ月間程度)な勤務計画・目標を立ててくれるところが、ありがたいです。
*アドレナリンの作用: 交感神経が興奮した状態、すなわち「闘争か逃走か (fight-or-flight)」のホルモンと呼ばれる。動物が敵から身を守る、あるいは獲物を捕食する必要にせまられるなどといった状態に相当するストレス応答を、全身の器官に引き起こす。(Wikipediaからの引用)

*産業医とは:事業場において労働者が健康で快適な作業環境のもとで仕事が行えるよう、専門的立場から指導・助言を行う医師を云います。産業医学の実践者として産業保健の理念や労働衛生に関する専門的知識に精通し労働者の健康障害を予防するのみならず、心身の健康を保持増進することを目指した活動を遂行する任務があります。(東京医師会のHPから引用)

当初、私は手術でガンを摘出をすることが、乳がん治療のゴールだと考えていました。もし本当にそうだったら、きっと私は自分ががんになったことを一刻も早く忘れ、残りの人生を心穏やかに暮らそうと思ったに違いありません。

しかし、手術が終わり、そのうち、乳がんは「全身の病気」であること。すなわち、がんが浸潤癌であるかぎり、例え今回の手術でがんがきれいに取り切れていたとしても、「微小転移」して、既にがん細胞が体のどこかに既に散らばっている可能性があるということがわかりました。

私の場合は、自分のがんの性質にあったホルモン療法を、今後続ければ、再発の可能性は確率的に、かなり小さくなるそうですが、それは決してゼロではなく、つまり、生涯、再発の恐怖からは逃れられないということです。

でも、再発するかどうかなんて、誰にもわからないことなので、余計な心配をしてクヨクヨするよりも、今の生活を楽しく、充実して過ごしたほうが絶対いいと思っています。かといって、がんのことを完全に忘れることはできないので、万が一、再発した時のために、最新の乳がんの治療情報はいつもキャッチアップしてしていたいと思います。


手術から約1ヶ月がたち、着実に回復に向かっていますが、気になる点もまだ残っています。

1.手術の傷
触ると傷痕が硬くなってきているように思えます。傷口をきれいに治すために2週間に1回、テープの張替えをしています。

2.エキスパンダー
(1)2度目の生理食塩水の注入後から、状態は良くなってはいますが、相変わらず、異物が胸に入っているという違和感が消えません。

(2)階段の昇り降りの時や、走って胸が揺れた時、そして大笑いした時等に、中に入っている水がチャプチャプしているような感じがして気持ち悪くなります。

(3)起きている時より、寝ている時の方が、胸の皮膚のつっぱり感がひどく苦しいです。仰向けに寝ると、鏡餅が胸の上に載っているような感覚です。入眠しても3、4時間すると、胸部と腕のしびれで必ず目が覚めてしまいます。一度起き上がって、このしびれをリセットしない限りは、再度、眠ることができません。

(4)今のところ、注入されたお水の量は360ccで、健側の1.3倍位の大きさです。不自然に、丸くて、固くて、まるでサイボーグの胸みたいです。自分的にはこの大きさが限界で、これ以上、大きくなって左右がアンバランスになるのは困ります。目立つのが恥ずかしいので薄着や胸の部分がフィットする服は避けるようになりました。

(5)冷たいものや熱いものを飲むと、左胸に電流のものが走って「ひえっ~」となります。なぜこんなことになるのか、次回受診の時、聞いてみたいです。

3.ピーチ(左胸)&ニップリン(乳頭)
(1)血行も回復し、ピーチの皮膚の色はすっかり元通りで白桃のようになりました。体温もそのままで、温かいです。皮膚は張っているので、ワックスがかかったりんごのようにピカピカです。

(2)ニップリンは、健側とほぼ同じ色になりました。また一部陥没気味でしたが、知らないうちに、全体が顔を出していました。なんとなく感覚はありますが、敏感さは無いです。

(3)ニップリンが、あるべき位置より、1センチ以上、上方についてしまっていて、鏡を見る度に、ブルーになります。今後、注水をしながら、位置を下げるべく調整して下さるそうなので、希望は捨てません。

4.手術側の左腕
(1)脇の下と背中がまだヒリヒリして痛いです。触ると、まだ少し腫れていて、しびれている感じです。

(2)先週まで、左腕の使用を制限していたので、未だに上方向に、スムーズに上がりません。前と後ろへの動きは大丈夫になりました。気がついたらリハビリをするようにしています。かぶりもののセーターやチュニックの脱ぎ着ができるようになりました。ようやく前あきのオババ下着から卒業です。

5.ホルモン療法
(1)1日1回毎食後の飲み薬は、時間が経つに連れ、ついつい飲み忘れがちです。パッケージの裏にマジックで一つ一つ日付を書いたり、カレンダーに飲んだら印をつける等して、飲み忘れ防止に務めています。毎朝食後でなく毎夕食後にした方が確実かもしれません。

(2)最初のリュープリン注射から、10日は経つのに、おへその横の注射をした箇所がじくっと痛みます。今も注射痕が赤く腫れています。

(3)11月はじめの生理が終わった時期から服用を開始したので、来月生理が来るのかどうかわかりません。幸い、薬の副作用のようなものは出ていません。太りやすくなるらしいので、甘いものは控えめにします。


◯ You tube へのリンク
Anniversary 松任谷 由美
http://www.youtube.com/watch?v=0Oy9zLdRdJY&feature=related

新しい友だち~ツライときを乗り越えて  [雑感]

今回病気になって、新しく3人、友達ができました。

1.K恵ちゃんとの出会い@MRI検査
1人目はK恵ちゃん。術前のレントゲン検査が終わり、更衣室で着替えをしていたら、部屋の隅で震えている女性がいました。普段なら関わるのは面倒と思い、声をかけるなんてしないのですが、なぜだかその時は彼女のことを放っておけなくて、「どうしたんですか」、と聞いてみました。すると、「私、MRIが苦手なんです。エレベータにも乗れない極度の閉所恐怖症で、検査は終わったんですが、今も震えが止まらなくて、気分が悪いんです。」とのこと。

確かにMRI検査は、建設現場のような騒音と、閉塞感がありますが、私は嫌いではないです。でも苦手という人がいるのもわかる気がします。

彼女の気分が落ち着くまで隣にいて、その後ロビーまで一緒に歩きました。自己紹介をしてよろしくと言ったら、K恵ちゃんが、「私ってすご~く不幸な女なの。そんな私と友達になんてならない方がいいよ。」と言いました。でも、そんな話を聞いたら、おばちゃんマダムの私が、興味を持たないわけがありません。

メルアドを交換し、次回の通院日が同じだったので、その帰り道にお茶をしました。「もしよかったら、私に話してみて。」というと、「とても一言では語れない。」、と彼女。それでも、そのうち彼女の方から、「K恵の波瀾万丈の人生」について、語り始めました。その内容は、あまりに不幸すぎて、すべての話を聞き終わった時、私は周囲のことを気にすることなく、大泣きしてしまいました。
「K恵ちゃん、本当に大変だったね。でもそこまで不幸だったんだから、きっとこれから幸せになるよ。全て失ったって言うけど、今はしがらみからも自由になったんだよ。K恵ちゃん、幸せになっていいんだよ!」

彼女は、これまで自分の辛かった経験を話せる同年代の相手がいなくて、私に話すことで、楽になったようです。私も乳がんにかかってしまって、自分は不幸のどん底だと、思っていましたが、彼女の話を聞いたら、私の不幸なんて、なんてちっぽけなんだ・・・と感じていました。

幸いK恵ちゃんは、だんだん明るくなり、本当は笑顔がチャーミングな女性であることがわかりました。私の入院中も、私の大好きなTAKANOのケーキを持ってお見舞いに来てくれました。閉所恐怖症でエレベータに乗れないので、8階まで、ミニスカートにブーツ姿で階段をのぼってきてくれました。
今度、D都市線にある温泉に一緒に行こうと約束しました。私が今の自分の胸の状態で温泉に行くのは、チャレンジングですが、勇気をもって実現させたいです。

2.Y子ちゃんとK子ちゃんとの出会い@入院病棟
Y子ちゃんとK子ちゃんの2人は、同じ日に同じ乳がんで入院・手術をした運命の友達です。入院した日に、入院説明会があり、その時から感じるものがあり、ぜひお2人と友達になりたいと思っていました。手術が終った次の日、まだ足元もおぼつかない時に、彼女たちの病室を訪ねて、よかったら今晩、私の部屋でお茶しませんかと誘ってみました。
初日は、さすがお互い緊張していましたが、同じ時期に同じ病気にかかり、同じ日に入院・手術したので、自然と話も盛り上がり、その後も、毎夜、消灯時間(21時)間際まで、「サロン・ド・ゆこさん」で、病気のこと、家族のこと、これからのこと等、語り合いました。やがて、この集会のことは看護師さんにも知られることになり、2人がベッドにいないと、またゆこさんの部屋だとバレバレでした。

Y子ちゃん、K子ちゃんと、順調に回復し、次々退院していき、乳房再建をした私が、一番長くまで入院していました。退院、2週間後に、手術で摘出したがんの病理検査の結果が出て、その後の治療計画が示されることになっているので、それが終わった頃に、D都市線の私が住むA葉台で再会(集会?)しようと約束しました。

術後検査の結果が出る日は、お互い知っていたので、その日は朝から落ち着かず、朝に励ましのメールを送り、午後は報告のメールを待っていました。今まで、こんなに友達のために本気で心配したり、祈ったりしたことはありませんでした。

そして先週末、遂に再会の約束が実現し、イタリアン・レストランで食事をした後、カラオケで4時間盛り上がりました。検査の結果は、三人三様でしたが、今までがんばってきたんだから、この日ばかりは、いやなことは忘れて一息いれようというのが集った目的です。「私たち、ついこの間までがん患者だったのに、今はこんなに元気になって、信じられないよね~。これからも治療は続くけど、がんばろうね」と言って別れました。(Y子さんは熱唱しすぎて、夜に酸欠状態になったらしいです・・・。)

病気が縁で友達ができるというのは、初めての経験でしたが、病気になって、つらい経験をしたからこそ、気持ちをわかちあえる、そんな特別な関係が今回できたことはとても貴重なことだと思います。

私が、退院後も、彼女たちと楽しくやっている様子をみて、夫は信じられないと言います。自分がもし病気になって入院した時は、特に必要ない限り、周りの人とは関わらないように、じっとしているらしいです。そんなものなんでしょうか。

◯You tube へのリンク
竹内まりや Forever friends
http://www.youtube.com/watch?v=Jj9i2mWCbVw

最期の時のためにすること(もしもの時の話) [雑感]

手術を次の日に控え、自分だけは大丈夫と、根拠無く思っていますが、もし、手術の後、全身麻酔から覚めなくて、そのまま目を開けることなく死んでしまったら・・・と、誰でも少しは、要らぬ心配をしてしまうのではないでしょうか。

手術の前には、何種類もの同意書に署名をしなければいけません。(以下1~4参照)
いずれも、事前に医師から、各々の処置の必要性と、それに伴うリスクについて、丁寧な説明があります。たとえ、リスクがあっても、その処置を行うメリットが、リスクより高い場合は、同意しなくてはならず、自分には、拒否する理由もありませんでした。

1.手術同意書
2.輸血同意書
3.静脈血栓予防同意書
4.麻酔同意書

説明の時に、「非常にまれに重篤な副作用がおこる可能性があります。」と言われると、確率的には、かなり低いのでしょうが、もし運悪く、自分がそうなってしまったらと、私はちょっと不安になりました。

全身麻酔中に、喉の奥に人工呼吸の管を入れるとき、金属の道具を使って口を開けるのですが、この時にこれが前歯にあたり、前歯がかけてしまうことがあるという説明を聞いた時、自分は顎関節症のため、ヒトより口が大きく開かないため、不安になり医師に話しました。
説明中に、不安や疑問に感じたことは、遠慮しないで、申し出たり、質問するのが良いと思います。そうすれば、医師はその点に、気をつけて対処して下さいます。

病気休暇に入る前、もしかして私は、もう生きてこの役所にもどってこれないかもしれないと思い、机周りや引き出しの中の整理をしました。もし引き出しから恥ずかしい物が出てきたら困るので、隣の部下に、もし変なモノがでてきたら、そう~っと処分してちょうだいねと言っておきました。(恥ずかしいものって何でしょう!?)

入院前も、やっぱり、もしかして私は、もうこの家に帰ってこれないかもと思い、なぜか、いつもしない掃除をして、不用品をだしてみたり、遺影の写真は、夫に任せたら、変な写真を使われそうなので、さりげなくお気に入りの写真を、自分のPCのデスクトップのわかりやすところに保存してみたりしました。
また、保険証書や保険会社の担当者の連絡先、職場の上司や部下の名前と電話番号も、書き残しておきました。

また、手術の1週間前は、精神的に立ち直って、食欲もあったので、お気に入りの京料理のお店に、食事に行きました。もう2度と食べれないかもしれないと、悲観的なことを言うわりには、好きなものを次々と注文する私に夫はかなり呆れていたと思いますが、「食欲があるのはいいことだ~」とつきあってくれました。

手術の前日は、18時に出された晩ご飯を最後に、21時以降は飲食禁止となります。緊張したのか、あまり食欲がなく、残してしまいましたが、20時頃になったら、小腹が空いてきました。自分の好きなお茶類やお菓子は、自宅から持参していましたが、なぜかそうしたものに私の触針は触れず、かと言って、具体的に食べたいものも思い浮かびません。

さてさて、結局私は何が食べたいと思ったのでしょうか。その答えは「コーヒーとシナモンロール」でした。幸い病院ののロビーにドトールコーヒーがあり、ラッキーにもブレンドコーヒーとシナモンロールが買えました。

私は、普段からよくコーヒーを飲んでいて、職場のビルの地下1階にスターバックスが入っているので、毎朝コーヒーを買ってから、自分の部屋に行くのが日課となっていました。しかし、がんの告知を受けて、精神状態が不安定になって、胃の方に来てしまい、コーヒーを受け付けなくなった時期もありました。なので、コーヒーを体が欲するのは、結構、調子が良い時だと思います、

「地球最後の日の晩餐に何を食べるか」、もしくは「無人島に持って行くなら何か」と質問されたら、私はコーヒー(ホット限定)だと思います。

ちなみにレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」で有名なシーンで、皆さんが食べていたのは、「無酵母パン」と「ぶどう酒」だそうです。(あとチーズがあれば、まぁいいかな・・・と思う私)


◯全身麻酔についてのQ&A(福岡商工会議所のサイトへのリンク)

全身麻酔が必要となる時のために
国立病院機構 九州医療センター 麻酔科医長 田中 宏幸
http://www.fukunet.or.jp/kenkoQA/201002.html

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